細木数子先生が、学校の先生にお説教していました。根本的なところを突いている、と思いました。
先生(だけではないのですが)の意識の中には、生徒全員を見てあげなくてはいけない、という観念があって、自分が子供たちに教育しなければという思いがあるようです。教えたものが
子供のインプットする全てだと考えているのではないでしょうか。意識の中にそういったものを感じます。
学校に限らず、家庭であっても、一般社会においても、教わる側の人というものは、教えてもらったことを覚えて、記憶して、それで
マスターしたとは思わないのではないでしょうか。
スポーツなんかは分かりやすい例で、教わったからできるものではなくて、実際にやる人(教わる人)が、能動的に学ぼうとするから、できなかったものができるようになったり、上達します。
「他人を自分の思うようにできない」ことを認識して、与えることが教育だと考えず、本当のところ、人は勝手に学んでいくわけですから、「教育者」を目指すことが大事なのだと思います。子供は親の
背中を見て育つ、といいますから、体裁を気にしたって、大きな意味はありません。
立派な人を知れば、心に残り、いつしか真似をしたくなり、信頼や信用のできない人を知れば、いつしか警戒心が強まります。見たり聞いたり経験したことというものは、すぐに影響されるのではなくて、時間がたったときに、何年もしたあとに、その人がアウトプットするときに、それらの影響が表現されるのだと思います。
バカの壁とか、
話を聞かない男、地図が読めない女とか、
エクスタシーを読んでみろ、とか教えてもらったら、僕が少年だったら嬉しいです。ものの考え方が変わるかも知れないよ、とか言われれば、読んでみたくなります。そして、誰もがすぐには、教えてもらった未知のものには影響はされないでしょうけれど、時がたってから、若いときに見た読んだ聞いた体験した全てによって、世の中のからくりとか、仕組みとか、起きていることとか、思考の自由とか、人間ちゅうものは古今東西変態だとか、わかってきて、自分の視野馳は狭い、と感じるのではないでしょうか。
そうすると、それまで興味のなかった分野、見えなかった部分が見えるようになって、新しいことに興味や関心が起き始めます。
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posted by susan at 10:50|
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